2013年1月3日木曜日

故郷は出掛ける先

あけましておめでとうございます。この年末年始は実家に帰省しました。すでに郷里を離れて15年もの月日が経とうとしています。郷里に帰ったときは,たいがい原点に返る作業をひとつはしてきます。友人と会って話をしたり,飲みに行ったり,以前務めていた病院に行ったりしますが,今回は学舎である九州リハ大に行ってきました。 九州リハ大といっても,現在は4年制の大学に継承されていて,古い学舎(昔の九州労災病院の隣)になります。私が初めてここに行ったのは18歳でした。高校が商業高校だったので,卒業後は,ほとんど就職するのですが,私は何故か就職せず,ボンヤリと違う人生を思い浮かべていました。福祉系の学校に行って,福祉の仕事をしたいとは思っていたのですが,どんな進路があるか分からないときに近所の方に作業療法士の仕事を教えてもらったのが出会いでした。また,その時に祖母が認知症になったのも大きなことでした。 当時,作業療法士になるには,私立はものすごく高い学費でしたが,国立の専門学校はなんと年間の授業料が36,000円!入学金もありませんでした。作業療法士になると決めてからは,人生で一番勉強しました。その時に,初めて行ったのが九州リハ大です。(昔の)九州労災病院を見学して,大学の中を案内されて,こういうところで学ぶことが出来れば…と思いました。とは言え,商業高校で数学も理科も,最低限しか勉強していなかっったので,予備校に行くお金と大学に行ってからの学費くらいは自分で…と思い,働き始めました。 その時に働いたのが,小文字病院。今や北九州市の市議会議員さんになっている中村義雄先生がいたり,シダーというリハビリテーションの部門を会社にして地域で活動している病院が高校卒業後に働き始めた職場でした。働きながら夜は勉強して,みたいなことを数年間してようやく入ったのが九州リハ大でした。18歳に初めてリハ大に入って,入学はその3年後。卒業は24歳。卒業後はリハ大の真下にある精神科の病院で勤めて3年後に広島に来たので,約10年間はリハ大につながる道を通いました。「九労坂」という名称で言われていて,いろんな思い出もある坂道。登り切ると綺麗な桜並木になっています。 そのリハ大も,もう3年制の専門学校という役目を終えようとしています。そして,私が高校の時に祖母が体調を崩したかのように,実家の母も体調を崩しています。自分の子どもがそのお見舞いをして,何か作るか…といって作った1枚のポスター。なんとなく,昔の自分を見たような気がしています。 「帰るところが故郷ではない。出掛ける先を故郷にしなきゃ。」とは永六輔さんの言葉(だったはず)。今の自分を戒めながらこの1年間。やれるところまでやっていこうと。

0 件のコメント:

コメントを投稿