2015年12月17日木曜日

桜山ってのがある

 三原駅から舗装された道を歩くこと10分で登山口に着き,登り始めて30分もすれば山頂に到達する桜山というのが三原にはあります.三原は…なのか,他の地域もそうなのか三原には山がそのままお城だった,というところが何ヶ所もあります.新高山城,椋梨城とか,いろいろです.調べてみると,いわゆる他から攻められないためのお城のようです.桜山も三原城が攻められないためのお城があり,桜山城という名称だったらしい.たしかに頂上にはなにやら石垣が作られていて,人が住んで三原を守っていたらしい.

登っていくと,現在もライオンズクラブの方やNPO法人の人たちが山を整備して歩きやすくしていた.すばらしいなと思った.

以前は三原を守っていた山を,今は逆に守られている.そこに三原の(地域の)再発見が生まれるのだろうと思った.新幹線も港も空港のある町なのに,誰も立ち止まらない街になっていると思う.立ち止まれる何かがないからだろう.

桜山に私はその解決の糸口があるなと思った.駅からちょっと歩けば,こんな絶景に会えるところなんてまずないと思う.尾道は点と点が集まって線ができている.三原はまだまだ線ができていない.

でも,点はたくさんある.点をつなげるようなことをしてみよう.

2015年12月2日水曜日

来春には収穫かな


ちゃんくすでは,本町に農園を作らせてもらっています.最初の状態を知っている者として,雑草と,掘り返してもガレキしかでてこない土地から,生命を持った野菜や果物ができるとは思いもしませんでした.生ゴミから堆肥化したり,土をいただいたり,苗もまたしてもいただきものが多いちゃんくす.いろんな人の期待と支えがあってできています.

昨日は来春に収穫できる野菜を植えました.この冬を乗り越えてできる野菜.収穫する頃には私たちはどんな姿になっているのかな…と思いながら種を落としていく姿を見ていました.

今は,ブロッコリー,わけぎ,えんどう豆,レタス,いちごを植えています.花も来春にはチューリップも咲く予定.明日からは寒くなるとか.

さぁ.冬が始まりますね!

2015年11月30日月曜日

三原お寺でアート'15終わりました

実行委員長という役割はありましたが、周りの方々がしっかりと動いていたおかげで無事に 終わった三原お寺でアート(Mihara Arte En El Tempolo;MAT)。本当にいろんな人のエネルギーを感じました。アートは何となく孤独を感じることがあります。作る時はだいたいみなさん集中していると思うし、どこか自己満足という言葉に心を支配されないと、とても出来ない作業なように思っています。歌を作ることも、論文を書くことも、実験や研究をすることも、絵を描くことも、料理を作ることも、ひたすら自分に向き合っているように思います。それを皆さんに見てもらおうとかいうのは、また違う作業かなと。

孤独で自己満足の世界を身近な人に見てもらう。それも、三原の資産でもあるお寺で…というのがこのMATのいい所だと思います。三原は、なんだかもったいないところがたくさんありまして。お城だって、実は石垣の組み方は全国的にも珍しいとか(だけど駅が貫いてますが)、お寺の数も実はお隣の尾道市とそんなに変わらないし、素敵な小道もたくさんあるし、少なくなってはきてるけどお屋敷だってまだまだ健在(山脇邸が代表かも)。
三原の人が出展してできているアート展。三原はまだまだ面白い資源が残っている。そう感じた3日間でした。

2015年11月15日日曜日

プラレール喫茶+斉藤工房+就労支援施設ワークショップ

 

 昨日,一昨日と県立広島大学での学園祭に出店しました.もう4回目になると思われる,この学園祭での出店.チャレンジショップだったり,日々の活動の発表の場だったりしましたが,今回は,就労支援施設のワークショップを加えてみました.

プラレール喫茶は,お菓子をプラレールで運んでくるというもの.一日目はなんとなんと主力の運転手が風邪でお休みするという,とても不安な船出でしたが,こういう時に力を発揮するのが底力というか,層が厚いというか.急な運転手でも充分に力を発揮していました.
お客さんも楽しんでいただいていたようで,見るだけでもいいですか?と何度も聞かれました(もちろんオッケーです).また,その時に出したみたチーズケーキ.はじめてお客さんに出して見ましたが,これまた好評でした.

地域で活動していて嬉しいのは,周りのやさしい目に触れることができること.毎年のように参加しているせいか,「今年も来たよー」という言葉を頂戴することもしばしばでした.

斉藤工房さんも,いろんな方が音を聞いていました.どちらかというとマニアックなイベントなのですが,それでも好みが共通していると話が弾み,いつにない盛り上がりをみせていました.

そして,今回初めて行ってみた就労支援施設のワークショップ.三原市内の3ヵ所の協力を得て行われました.また,このワークショップは,作業療法学科の3年生とのコラボイベント.学生さんも「消しゴムハンコではがき作り」という形でオリジナルのスタンプを作って,「もりの輝舎」のはが木という,葉書に押すというものです.
2日目には,施設の職員さんや当事者の方も来られて4つのワークショップと,施設の商品販売をしました.
実は,このワークショップは,あまりに施設の商品の完成度が高いため,それを知ってもらいたいという想いで行いました.出来上がるものの完成度が高く,しかも丁寧に作り上げられた商品なので,一般の方でも作りやすく,見た目もいい物が出来上がりました.

いろいろと反省点もありましたが,何よりもこういうつながりの中で運営できて,またやってみようという意欲も出てくるのがいいじゃないですか.

2015年11月9日月曜日

あかりプロジェクト2015

 
昨日7日(土)に浮城祭前夜祭でちゃんくすは毎年行われている「あかりプロジェクト」をしました.三原市内のいろんな方々の協力を仰いでいまして…今年は2,800個の灯ろうを市民が描きました.保育所,幼稚園,小学校から高齢者施設,障害者施設など多くの方々に描いていただきました.

このプロジェクトは,「駅前を活性化するのは「誰か」ではなくて,私達で.」というメッセージが伝われば…と考えて始めたもの.自分が描いたもので街を照らすことで,人を喜ばすことができたら.ひとつひとつのあかりが…自分のやったことが,人を喜ばせて,さらに街も盛り上げられればいいな,というものです.

昨日の天候はあいにくの曇り.それもキャンドルに点灯する18時から雨が降るという….なんともはっきりしない天気でした.しかし,なんとか天気はもってくれて20時くらいまではちょっと降りましたが持ちこたえました.片づけの時はさすがに強い雨でしてスタッフはびしょぬれになりながらみなさんで片づけました.

ちゃんくすとしては,その市民の方々が描いていただくことと,もうひとつミッションがあります.ちゃんくすを利用する方々が,こういう場に参加して社会や地域を感じることです.この両立がとても大切だと思っています.ちゃんくすを利用する方々は,自分に自信がなかったり,集団にうまくなじめなかったり…です.彼らが地域の中で自由に活動することこそが必要だと思っています.

街に貢献することや,街を楽しくすることができる人が増えることで,街はもっと豊かになると思います.これは,すぐにはできません.あわてず,あせらず,じっくりと.でもどこか戦略的にしていかないといけません.

あかりプロジェクトはなんとかずっとやっていける活動にしたいなと,揺れるキャンドルの火を見ながら思いました.

そうそう.当日はとっても多くの方々にお越しいただきました.ありがとうございます.でも,駅前広場でしていなかったので中止と思った方もいるかもしれません.ごめんなさい.

多くのご家族連れがこられたのですが,とても良かったのがお子さん達の声.「みんなまたねー!ばいばーい!」という大きな声.すべてを安心しきっているからこそ,こういう言葉が出ると思います.お母さんもお父さんも近くにいるから,身近で知っている人がいるから.その場が自分達のものだと感じたから.だから出る言葉がとても心地よかったです.

2015年11月2日月曜日

ハッピー・ハロウィィーン!

今週末の11月7日,8日は三原駅前や三原港で「浮城祭」が開催されます.今年もちゃんくすでは「あかりプロジェクト」という形で7日(土)の夜に三原市内のお子さんや高齢者など役2,500名にとうろうに絵やメッセージを描いてもらい,キャンドルを入れて飾ります.このイベントは駅前広場をいろんな人たちの笑顔で満たされたいという想いから始まった企画.ろうそくの火がゆらゆらと揺れるだけで,落ち着くというか,和みます.自分が描いた灯ろうで街を彩ると,それだけで参加した気持ちになります.とにかく市民が参加してのイベントです.

しかし,年々数も増えています.当然,キャンドルをつけるのは人の手です.カチカチカチ…とチャッカマンをつける握力もなくなるくらいです.

先日は,こういうキャンドルの灯が好きな?方々が「遊びよー」と言いながら,あかりをつけていました.私も見学がてら見ていると近所の人もやってきます.自然と,こういうのを街角に置いてみたら….次回はもっと本数を増やしてみようか..遊びの中でも真剣ですし,未来が見えます.こういう未来が見えることが,次への意欲につながるのだろうと思います.

楽しく.愉快に.やってやれないことはないさー.

2015年10月30日金曜日

仕事ができるって

10月もいよいよ終わり。もう11月です。いやはや早いですね。ここ最近、ちゃんくすではいくつかのお仕事をしています。その一つが工事現場でのお手伝い。基礎工事で使っているコンパネについたコンクリートをはがすという簡単な作業なのですが、すべて取っておかないと次 回使う時にきれいにできません。

いつもは絵を描いたり 、ゲームをしたり、スマホを見たり。そんな彼らが仕事をしている姿はたくましく見えます。いつもたくましく見えない、というわけではないけど、やはり仕事をしている彼らはいつもよりいきいきとしてみえました。

しかし、こうやってみるとコンクリートの基礎の所には必ずこういう作業がつきもののはず。ひとつの現場でもこんなにいろんな人たちが関わりながら作業が進んでいるので、やはり建物を作るというのはすごいことなんだなぁと。

こういう機会をいただいた施工業者の方々に感謝です。私も半日ではありますがお手伝いできてとてもよかったです。仕事の合間の炭酸で生き返りました。

2015年10月25日日曜日

空間なのに連続体

今日は仕事終了後急いでちゃんくすを出て隣の隣の福山市は芦田町のスペース461というカフェで開催されている個展を見に行きました。佐々木高信さんは統合失調症という病を持ちつつ世界観を絵画や音楽で表現しています。これまでも数回拝見させていただいたのですが、今回はカフェでの個展。カフェという基本的な構造以外は彼の世界観が広がっていました。

左右、上下の空間にきちんと配列された(おそらく右左が対称になっているような配置)絵画。共通してみられる自画像の中の自分はあえて無表情に見えながらも微妙に異なる口元。自画像の背景にある日本画は江戸時代の浮世絵や幾何学図形など四角や丸という図形が並んでいました。

その空間にいると、作者が時代の中になんらかの答えを見いだそうとしている姿を見たような気になりました。そして、空間の中で一枚一枚はストップモーションのような構成なのですが、配置されると(飾られると)、それぞれがつながりがあるような気がして。葛藤と申しますか、悩んでいるというか、真っ正面からその悩みを受け止めつつ描いているような気がしました。

ひとつひとつの絵画からは歴史的な時間を。カフェに飾られた姿は空間の中で少しずつ動いているような不思議な感覚を思えました。

http://www.asahi.com/articles/ASH9T3CDNH9TPITB001.html

…と紹介までしておいて、なんとまぁ明日までの会期でした。うーん。残念。



 ちなみに、お店は石釜のピザを食べさせていただけるカフェ。雰囲気も良く何といってもマスターとママさんのトークがとっても楽しかったです。
尾道帆布に写真などのプリントもしているお店でいろんな企画を相談できそうでもありました。

2015年10月24日土曜日

障害者問題全国交流会in愛媛に参加しました

昨日,本日と中小企業家同友会主催の障害者問題全国交流会に参加してきました.北は北海道.南は沖縄.全国から障害者が感じる問題について問題提起,テーマ分科会に分かれてのディスカッション,新しい企業の在り方の学習,同友会の立場を提言として言葉で明確にする,という2日間でした.

とにかく熱い.というのが一番の感想です.働くことに(機能的な)障害があるなしはあまり関係ありません.仕事ができればそれでいい.「仕事ができる」とは,人それぞれで,効率よく仕事をすることが得意な人もいれば,雰囲気を和ませるのが上手な人もいれば,お喋りが上手な人もいれば,一人で集中して仕事をする方がいい人もいれば….一人として同じように仕事をする人はいません.それぞれがそれでよくて,その違いを認めつつ,会社が変わりつつ,経営理念に向かって進んでいく.いろんな人がいればこそ豊かな企業になり,豊かな社会に向かって進んでいける.ということを感じました.

日本の企業の99.7%は中小企業や零細企業です.企業はとにかく一所懸命です.一所懸命の方向がみんな一緒になれば社会も変わっていくかもですね.

2015年10月18日日曜日

地域に驚かされました

今日は三原駅前市民広場でストライダーというペダルのついていない自転車の競技会がありました.このストライダーは2歳から協議に参加できて大人顔負けのレースを行っていました.ちゃんくすは,若者でグループを作る匿名商店がアメリカンドックを販売し,前日から金光組さんからお借りしたパネルで大きな迷路を作り,浮城祭前夜祭のあかりプロジェクトの灯ろうのお絵かきコーナーを作りました.結構な重労働なのですが,さすがに若い方々.普段見せないような体力をここで発揮しました.

ちゃんくすが参加する活動は,ただの地域ではなく,数人でも知っている人のいる,なじみの地域です.知っている人がいれば安心できることも増えるし.そこで会話も始まるし,です.できれば,こういう活動を通じて,そこの場の人たちと触れ合い,成長の姿をお互いに見つめあうことができる.地域で活動を行う一番の目的です.

今日は,子ども達の競技会でした.そのお子さん達が少しでも楽しめるようにと迷路を作り,お絵かきコーナーを作りました.が,その子ども達が会場の片づけを行い,迷路まで片づけました.

誰にも言われず,自分達で.どうしてやり始めたかはわかりません.でも.それでいいのだ.地域ってのは驚きの連続ですね.

2015年10月16日金曜日

子ども若者自立支援研修会でした

今日は愛媛県は松山市で行われた、子ども若者自立支援研修会に参加しました。主催は内閣府。国の方向性と地域の実践の話を聴講しました。いじめ、自殺、事件への関与、引きこもり、貧困、社会保障制度など、この国は若い方が夢を持てる地域になっていないような気になりました。

しかし、これは別に若者が引き起こしていることではなく、どちらかというと私たちの世代が引き起こしたことかもしれません。口々に聞かれたのは、地域のつながり。多様性と同質性が混在していて、他世代でも同世代でも交流が本来は必要なのに、交流がない地域社会。あまりに独りでいても困らないように技術は進歩しています。子どもの頃に失敗が少なく、大人が環境を作りすぎているようにも感じます。

どうやったら、どんな答えが見つかるかはわかりませんが、とにかくひとりひとりの個性がぶつかり合って、いろんな経験をしながら成長を見守っていければいいな…と感じました。

松山は古いものと新しいものが混在しているような町並みでした。私が小さい頃は小倉にも路面電車が走っていて、たくさんの人を運んでいました。町中を縫うように走る車窓から見える風景には新しいものが増えていますが、感じる風や雰囲気はきっと電車ができた当初からかわらないのではないでしょうか。いろんなことを考えた研修会でした。

2015年10月15日木曜日

得意な作業はすごい

ちゃんくすではたくさんの得意が集まっています。久しぶりに来られたちゃんくす卒業生の方。本当にすごいです。現在は、他のお店で働いていますがお休みを利用してこられました。

彼がやりたいこともあるのですが、こちらもやってほしいこともありまして、わがままを聞いてもらってあんこから作ってもらって、あんぱんを作りました。リクエストしておいてなんなのですが、かなりの放任でして、まったくこちらは何も言わずに作っていただきました。

結果が写真のとおり。まあ久しぶりにほっぺた落ちました。美味しいので食べていただきたいのももちろんなのですが、作る様を見ていただきたい…なんて感じました。とにかく緻密に作ります。物事の状態がどんな風になるか。どれくらいでいいのか。よーく観察しています。

もちろんマニュアルも大切ですが。やはり経験に勝るものはないなと感じた一枚でした。

2015年10月12日月曜日

絶滅危惧作業


子どもの頃.買物といえば人との交流が必ず入っていた思い出がある.近所には市場があり,そこで人と人が話しをしていて,巷の話題から食材の調理法方まで.そういえばおまけをもらうことも多かった.必ずあめを準備しているお店.自分へのおまけではなく,ちょっとした家族で食べられるようなおやつをいただいていたお店.家族構成も,父が働いている会社もすべて良く知っているから,おまけというよりも,本当に使えるものをいただいていた.

コンビニ,スーパーマーケット,通販にインターネット販売.人と人のコミュニケーションが買物にはついてこなくなった.買物におまけもついてこなくなったし,何よりも地域の情報交換ができなくなった.それにつれて,次第に人と人は疎遠になり,地縁が少ない地域が,なおさら人と人のつながりが少なくなっていった.

月に一度軽トラ朝市(主催;三原商工会議所)が行われていて,毎回,就労支援施設が生産者の野菜やパンを販売している.

軽トラや商品を真ん中に生産者とお客さんが話しこんでいる.こういう風景は絶滅危惧作業とよんでいる(勝手に).災害,高齢化,少子化など地域を構成する人員が変わり,つながりが少なくなりつつある.無理してサロンや外部からの人が入って活性化しなくてもいいのではないか.昔ながらの買物が持続できれば,自然とこういう場が作られる.

こういうやりとりがあるから,お客さんと生産者はこの場に集おうとしているかもしれない.

2015年10月9日金曜日

前回のつづき

先日の経営フォーラムの続き.後半は特別支援学校と,卒業生を雇用をされている経営者の分科会に参加しました.福山北特別支援学校と,企業4社です.

フロアにも広島県内で障害者雇用をされている企業や,興味や関心のある企業の経営者も参加しています.就労支援事業の代表者や特別支援学校のJST(Job Support Teacher)の先生も参加して,全体で30名くらいの分科会です.まず,驚くのが広島県内の中小企業約500社のうち20くらいの企業が参加していたことです.おそらく,他の経済団体には障害者雇用についてまとまって話す機会はありません.

うちには関係ない,危険な職場だから無理,経営が安定したら雇おうか,社会貢献なんてしていられない,といった声が障害者雇用では聞かれることがあります.実は違うのです.障害者雇用が企業を変えるきっかけになることも多く,業績も向上すること,従業員の仕事に対する満足度も挙がる企業が多いのです.

と,いうものの,やはり仕事というのはマッチング.自分にあった職場や作業を見つけることが障害者雇用では必要です.

そんなヒントをこの分科会では報告していました.職場全体が変化して,チームを組めるようになった.会社の経費が少なくなった,などなど.

結局,いわゆる普通の方の雇用とあまり変わらない.というのが結論でした.

2015年10月8日木曜日

空想の翼で駆け現実の山野を往かん

今日は中小企業家同友会の経営フォーラムでした.初めて参加する会.平日のお昼から広島県内500社余りが参加していました.基調講演は中村ブレイス(株)の中村さん.

作業療法士の私は以前から話にはお聞きしていました.海外青年協力隊の友人からも聞いていたし,NHKの番組でも見ていました.おだやかな口調とはうらはらに,実践は非常にタフな話でした.

石見銀山の山奥で起業したこと.もちろん売上もなかったこと.出張もままならないので,同業者の連携を強めたこと,義肢装具なのでオンリーワンのもので技術者の養成も時間もかかること.しかし,それでも世界に通じる技術と魅力で世界に名だたる企業にしたこと.

が,ここからがすごい.自分達にできることを世界で発揮するためNGOからの要請で発展途上国の男の子の義足を作ることになったこと.普通.そうすれば作ってあげて終わります.しかし,それでは成長にあわせて何度も作り変えなければなりません.そこで中村さんは,そこにある材料と技術で義足を作ろうとしました.竹と竹で家具を作る工房です.現地の人で現地の材料でその方の成長にあわせて義足ができれば中村さんの技術は要りません.最初は自社内でも反対.だってそうでしょう.作ろうとしている義足は昭和30年代か40年代のもの.しかも作ったことのない竹で作るなんて…最先端の技術を持っている技術者からすれば「なんで?」です.成長にあわせて作ってあげればそれで済む話.でも,それでは技術の押し売り,だったのでしょう.

結局,義足は現地の材料である竹を使い,作り方は中村ブレイスさんの技術者によって指導され,現地の工房の方が作りました.

足関節はまったく動かない固定式.膝関節も現在あるショックアブソーバーや動きをコントロールするような装置もついていません.戦後の義足の歴史を考えれば,まさに時代を逆行したような技術で作られるもので,技術者としてはまったく好ましいものではなったでしょう.

しかし,その子は希望でもあった義足をつけて一人であるけるようになりました.そして,海岸を歩くこともできるようになったのです.

いい義足(物)を作るだけではない,その人の「やってみたい」を支える環境も作ったこと.その義足を作るのは,やがてその子のお父さんの仕事になりました.

こういうことをやってのける実践がすごかった.中村さんの講演からたびたび聞かれたのは「感謝」という言葉と,経営者としての「判断」.そしてやり遂げる「信念」.感謝と信念と判断.今日は学んだ一日でした.(続)



2015年10月6日火曜日

「はらのすけ」という場

ちゃんくすを設立して5年が経ちます。作業に焦点をあてた…と言っていますがなかなか難しいもので、できたなと思う日もあれば、できなかったなと思う日もありです。そんなちゃんくすで新しい仲間が誕生しつつあります。

「はらのすけ」です。元々はもうちょうど2年前の今くらい。雑草の多いしげる 空き地を使って何かやるか?の一言から。草を抜き、石ころばかり出る土を耕し、廃屋の骨組みを残して取り壊し、屋根の瓦を落とし、夢を描き、できないとわかれば描き直し、とりあえずで始めた基礎工事の完成に一喜一憂し…2回ほどの季節が巡って巡って、あと一歩で営業できる所までこぎ着けました。

みなさんにお世話になっているので、できるだけみなさんの力が作業となって形にできるような場にしていきたいと感じています。作っているのはお弁当。またいつかこのブログでもアップしますね。

でもまだまだこれからです。生み出されたものが、活かせてこそのこの2年間。決して無駄ではなかった、と感じることが出来るように、精一杯やっていかなくちゃです。

2015年10月4日日曜日

片づけしました

今日は研修会でして博多からブログです.

昨日,ちゃんくすは午後からビルのワンフロアの再生に向けて片づけをしました.残っている雑誌はから察するに1995年にワンフロアが使われなくなり,その5年後にもうワンフロアが使われなくなっておそらく15年間はそのまま時がとまっている空間でした.ちゃんくすの歴史は,こんな場所を片づけるところから始まることがほとんどです.一番最初の宮沖.今のちゃんくすがある港町.本町では山脇邸,はらのすけ,旧小児科病院.そして,このビル.ちゃんくすの本拠地になることもあれば,地域の活動場所を開拓したり,取り壊される前になんとか廃材を残したり….

こういう活動が出来るのもご縁があるのと,ちゃんくすを利用する人たちが協力してくれること.人手があれば作業もはかどり,そこにいろんな人が参画すればつながりが生まれ,誰かが指揮をしてお金をかけられれば,違う人の作業が生まれる.という循環ができています.

作業が生まれるのは,人がいるだけではダメだし,お金をかければいいものでもないし,場所があればいいものでもないし.すべてがタイミングよくそろわないと生まれないのだろうなと.

「やりたいことができるようになる.」はそういう適度なバランスと化学反応で生まれるんだろうなぁ.

2015年10月1日木曜日

久しぶりのスイーツネタ

ちゃんくすには,いろんな得意が集まっています.昔は得意だったけど今はしていない.誰かのためにだったら,その得意が再び出てくる時もあります.

作業が生まれる瞬間というのはいったいどんな時なのかなと.どうやったら「やってみたい」が出てくるのかなと.構造上の違いが多少あったとしても人はだいたい同じ.どころか,霊長類のDNAは99%は同じとか.なのに人やらサルやらに分類されるくらいの違いがある.人だってほとんど同じなのにやっていることは人それぞれ.違って当たり前だなぁと.

作業は文化の中にその種があり,息づいている.人や周りの環境がその作業になんらかのショックを与えると種から一気に芽が出て作業が生まれる.だけど,時たまその種が見つからなくなったり,ショックがなくなったりしているときがある.

ちゃんくすは,その種を見つけたり,生まれるようにショックを与えたりする役目なのかなと.

作業の結果はあまり関係なくて,どうやって作業が生まれるか…が大切だなぁと.でも美味しそうなのよね(ジュルッ).

2015年9月28日月曜日

芝生はっちゃった

7月中旬からボチボチと作り始めているお弁当.もうすぐフル稼働させるべく日々試行錯誤しています.地域の食材は地域で食べる.作り過ぎない.いろんな人が食べやすいような売り方をする.などなど.が原動力のお弁当,お惣菜作ります.

もともとは地域のニーズの中で作業に焦点をあてて活動することが目的のちゃんくす.何をするにしても,いろんな人の手が加わります.この週末は芝生をはってみました.どれもこれも手作業なので,当然時間もかかります.汗もかきます.けっして上手くはありません.失敗もあるでしょう.しかし,失敗を恐れていても次は始まらない.いかに失敗から学ぶか.いかに失敗から逆転するような方向転換を生むことがきできるか.

自分達だけでやりきるのではなく,いろんな人たちと作り上げていかなくちゃですね.もともと地域はそうやってつながっていたはず.

2015年9月23日水曜日

本町を歩きました~何度目かな~


シルバーウィーク最終日.休みはあまり関係はなく,急な用事で動き回っていました.そんな中,今日は本町を学生さんと一緒に歩きました.写真を撮ろう,いろんな風景をみようとしたのですが,どうも色がない.以前感じたわくわく感がない.季節は夏から秋.春や秋や寒さに耐えるような感覚とは異なる季節だからかな…?とか思っていました.

今日,一緒に歩いた方が「見えないものは(写真で)写せない」「心躍る瞬間を捉えないと撮れない」.

そうなんですよね.当たり前なのですが,見ようとしないと見えない.飛び込んでくるものを受け止める力.見過ごさないテンション.そういうのが自分になかったから見えなくなっちゃったんだろうなぁと感じました.

私が見たいものはなんだろう.答えを出すには,もう一度戻ってみよう.なんだか原点に返ったような時間でした.

2015年9月21日月曜日

4ヶ月ぶりなんて…

ほんっとうに久しぶりのブログになっちゃいました.季節は秋.別に久しぶりだからといって何か特別なこともないですが,ふと書きたくなりました.

先日,島根県に行ってきました.県士会で行われているイベントで私のような者が話しても…?と思いながらでしたが,覚悟を決めてお話をしました.それはさておき,今回の島根では久しぶりに入院している方にお会いしに行くこともできました.ちゃんくす広報部も務めているのですが,私達のネタ出しが少なく,なかなか活動が停滞気味でした.そこに自ら活を入れようとお会いしに行きました.

正直,もう半年間くらい姿を見ていなかったので心配でした.もしかすると体調悪くなってないかな?元気なかったらどうしよう.覚えてくれてなかったらどうしよう.三原のことなんて忘れたかな….

しかし,お会いしてみると,より成長した姿がそこにあるじゃないですか!ベッド周りは自宅とも変わらないカープグッズの山.パソコンを操作する方法も変わらずしっかりとサポートされていました.

そして,三原のことを忘れることなく,三原をその施設内で紹介するスペースを作り,そこに新しく覚えたパソコンのソフトを使ってしっかりと三原の紹介をしていました.新しいソフトもまだまだ使いこなすために,いろいろなことにもチャレンジしていました.

心配はよそに,半年間お会いしていないことも忘れて話も出来ました.ちゃんくすはどうなってる?みんなは元気か?こっちではこんなことがあったよ.カープは相変わらずねぇ….

人と作業と環境.場所(環境)が変わっても,人と作業が変わらなければ自分で環境は作っていけるものなんだ…と感じた時間でした.

2015年5月1日金曜日

久しぶりですが…

また久しぶりの投稿になってしまいました.ちゃんくすのブログです.今年も明けたと思いきや,あっという間の新年度.今年は桜の開花を楽しむことなく,これまたあれよあれよと5月になってしまいました.なんと,この週末から来週にかけてはゴールデンウィーク.まったくそんなことも感じないままに毎日を過ごしています.

さて.そんな連休の初日の4月29日に三原病院という精神科の病院で開催された花祭りに参加しました.お呼ばれしての「プラレール喫茶」です.いつもは県立大学でなんとなくホームグランドで行っているような喫茶ですが,今回は初めての場所での設置.みなさん緊張しないかな?と思いながら参加しました.

このプラレール喫茶にはいくつかの仕掛けがあります.ひとつは,お子さんやそのご家族対象の接客サービスということです.お子さんやそのお母さん方になるので,普通の大人の方よりは接客そのもののハードルが下がります.「いらっしゃいませ」は基本ですが,「何にしますか?」「お待たせしました」があまり必要とされません.座れば,ドリンクか一品メニュー.それだけでやれる商売はそんなにありません.

もうひとつは,なんといってもプラレールという得意な分野で勝負できることです.線路をつなげて構成すること,引込線,切り替えポイントなど,しっかりと頭の中で組立てられていて,私たちでは考えなくてはできない構成も,あっという間に出来上がっていきます.小さい頃から遊んでいたことが大きくなっても(大人になっても)続けられるってのは面白いもんです.

さらに言うと,プラレールをリモコン操作して,お客さんの目の前で止めてメニューを提供できること.驚きと喜びと期待以上の成果に,自然と笑みが出てきます.

苦労するといえば,プラレールを持っていかなくちゃいけないこと.結構な重さに結構なスペースをとるので,狭い場所では出来ません.

今回は新しいスタッフも加わって行いました.売れ残りそうになったら,自分たちで売り切っています.そして働いた分の対価も得られます.わずかではあっても,自分たちで準備して,自分たちで作って,自分たちで販売して,自分たちで稼ぐ.基本だわー社会の.

ということで,ご依頼があれば行きますので,ぜひともご用命くださいませ.

2015年2月11日水曜日

さぎ島を愛するボランティアガイドさんの発表から


三原から船に乗ること20分.さぎ島という人口800名くらいの島があります.建国記念日で祝日だったので,このさぎ島で行われている「海浜セラピー」について県立広島大学で発表会があったので拝聴しました.

さぎ島の高齢化率は50パーセントを越えて,いわゆる高齢化が進んでいる島です.多くの島の足は船ですが,採算がとれないために次第に便数も減り,やもすると取り残されそうな地域です.

しかし,そのさぎ島がとっても熱いです.島の特産品を見つめなおし,お菓子にしたり,パンに入れ込むことで新商品を作ったり.情報発信も行っており,積極的に広島市内や東京に持って行き賞を受賞し,物産部という組織が出来上がったり.そして,海浜セラピーでは,島にあるものを体験してもらうことで,非日常を過ごしてストレスが解消されたり….

積極的に地域の資源にもつながっています.自身の活動を認めてもらえるようにと行政への働きかけを行ったり,癒しの効果を県立広島大学に測ってもらうように画策したり,メディアにも頻繁に出て,旅行会社とツアーを企画したり.

島の季節のうつろいを時系列にして,自分達のやってみたいことをあわせて,年間の活動予定をつくり,それにあわせて人々が組織されていたり.学ぶことの非常に多い講演会でした.

もしかすると,さぎ島は日本を代表する地域の循環型社会を実現していくかもしれません.
ちゃんくすも見習わなくっちゃ.

2015年2月1日日曜日

防災の研修会でした

なんと!今年初めてのブログの更新になりました.今年もよろしくお願いします.

今日は防災の講演会でした.ちゃんくすは,三原市の防災ネットワークというのに加入しています.今日は,広島土砂災害から学ぶということで,広島県自主防災アドバイザーの柳迫長三さんをお招きしてお話いただきました.

身近にあった災害.あの日の夜のことは本当に忘れません.遅くまで仕事をしてからの帰りだったのですがピカピカと光る夜空.遠くで雷が落ちていたのは分かりましたが,本当に不気味な光でした.
今日の講演の中で,災害にあわれた方々の体験談をご紹介いただきました.その中で私が100キロ近く離れた場所で感じたことを,その場で経験した言葉がありました.雷が落ちるのではなく,電気がパチパチと音を立てて落ちてくる,というものでした.

この日の雨雲は「バックビルディング現象」が起こったことが知られています.川沿いに約8キロ.山側に約4キロの積乱雲が何度も続けて発生することで,雷,雨をもたらしたと説明されています.場所によっては,3時間で8月の月間降水量の1.5倍の雨が降りました.サイレンの音も,防災無線の放送も,電話の声も,すべてが聞こえなくなったそうです.

そんな時,人はどうするか.ある人は119番や110番をしたそうです.しかし,大雨でくることもできませんし,被害が出始めている時は,他の所に行っていてくることもできません.電話で最終手段で緊急通報をしても,消防や警察から断られるのです.

様子を見ようとして,外に出ようとした人もいました.心配したご家族が引き止めに行こうとして,両方とも流されてしまった方もいます.

緊急避難先として指定された場所に行った方もいました.しかし,その避難場所が流されて亡くなられた方もいます.

お子さんが雨音が怖くて,また逃げることを考えてお子さんだけを普段とは違う1階で寝かせてしまい,土砂が流れ込んで亡くなられた方もいます.

しかし,その数十メートルの隣で庭にも土砂が入ってこなかった家もあります.土砂が流れてきた流域でも流されなかった家もあります.

何が正しい行動で,何が正しくなかったのか,わかりません.生命を守るための最低限の行動は,おそらく自分もみなさんも知っています.低いところよりも高いところ.長靴よりもスニーカー.スマホの充電器に手回しのラジオ….でも,命の守り方はわかりません.

今日学んだのは,自分で判断できるようになること,そして,普段から周りのことを知っておくことでした.自分の住んでいる地域のこと.何かあったときに逃げられる場所には普段から行ったり,お付き合いをしたりすること,近くに逃げられない人がいれば,普段からお付き合いしておくこと….

つまりは,地域のことを知ることが防災に必要です.ですので,結局はまちづくりです.相手のことを知って,できないことは地域で考える.これはいろんなことで必要な問題解決の方法だと思います.

…そんなことを学んだ日曜日でした.長文失礼しました.