2015年10月30日金曜日

仕事ができるって

10月もいよいよ終わり。もう11月です。いやはや早いですね。ここ最近、ちゃんくすではいくつかのお仕事をしています。その一つが工事現場でのお手伝い。基礎工事で使っているコンパネについたコンクリートをはがすという簡単な作業なのですが、すべて取っておかないと次 回使う時にきれいにできません。

いつもは絵を描いたり 、ゲームをしたり、スマホを見たり。そんな彼らが仕事をしている姿はたくましく見えます。いつもたくましく見えない、というわけではないけど、やはり仕事をしている彼らはいつもよりいきいきとしてみえました。

しかし、こうやってみるとコンクリートの基礎の所には必ずこういう作業がつきもののはず。ひとつの現場でもこんなにいろんな人たちが関わりながら作業が進んでいるので、やはり建物を作るというのはすごいことなんだなぁと。

こういう機会をいただいた施工業者の方々に感謝です。私も半日ではありますがお手伝いできてとてもよかったです。仕事の合間の炭酸で生き返りました。

2015年10月25日日曜日

空間なのに連続体

今日は仕事終了後急いでちゃんくすを出て隣の隣の福山市は芦田町のスペース461というカフェで開催されている個展を見に行きました。佐々木高信さんは統合失調症という病を持ちつつ世界観を絵画や音楽で表現しています。これまでも数回拝見させていただいたのですが、今回はカフェでの個展。カフェという基本的な構造以外は彼の世界観が広がっていました。

左右、上下の空間にきちんと配列された(おそらく右左が対称になっているような配置)絵画。共通してみられる自画像の中の自分はあえて無表情に見えながらも微妙に異なる口元。自画像の背景にある日本画は江戸時代の浮世絵や幾何学図形など四角や丸という図形が並んでいました。

その空間にいると、作者が時代の中になんらかの答えを見いだそうとしている姿を見たような気になりました。そして、空間の中で一枚一枚はストップモーションのような構成なのですが、配置されると(飾られると)、それぞれがつながりがあるような気がして。葛藤と申しますか、悩んでいるというか、真っ正面からその悩みを受け止めつつ描いているような気がしました。

ひとつひとつの絵画からは歴史的な時間を。カフェに飾られた姿は空間の中で少しずつ動いているような不思議な感覚を思えました。

http://www.asahi.com/articles/ASH9T3CDNH9TPITB001.html

…と紹介までしておいて、なんとまぁ明日までの会期でした。うーん。残念。



 ちなみに、お店は石釜のピザを食べさせていただけるカフェ。雰囲気も良く何といってもマスターとママさんのトークがとっても楽しかったです。
尾道帆布に写真などのプリントもしているお店でいろんな企画を相談できそうでもありました。

2015年10月24日土曜日

障害者問題全国交流会in愛媛に参加しました

昨日,本日と中小企業家同友会主催の障害者問題全国交流会に参加してきました.北は北海道.南は沖縄.全国から障害者が感じる問題について問題提起,テーマ分科会に分かれてのディスカッション,新しい企業の在り方の学習,同友会の立場を提言として言葉で明確にする,という2日間でした.

とにかく熱い.というのが一番の感想です.働くことに(機能的な)障害があるなしはあまり関係ありません.仕事ができればそれでいい.「仕事ができる」とは,人それぞれで,効率よく仕事をすることが得意な人もいれば,雰囲気を和ませるのが上手な人もいれば,お喋りが上手な人もいれば,一人で集中して仕事をする方がいい人もいれば….一人として同じように仕事をする人はいません.それぞれがそれでよくて,その違いを認めつつ,会社が変わりつつ,経営理念に向かって進んでいく.いろんな人がいればこそ豊かな企業になり,豊かな社会に向かって進んでいける.ということを感じました.

日本の企業の99.7%は中小企業や零細企業です.企業はとにかく一所懸命です.一所懸命の方向がみんな一緒になれば社会も変わっていくかもですね.

2015年10月18日日曜日

地域に驚かされました

今日は三原駅前市民広場でストライダーというペダルのついていない自転車の競技会がありました.このストライダーは2歳から協議に参加できて大人顔負けのレースを行っていました.ちゃんくすは,若者でグループを作る匿名商店がアメリカンドックを販売し,前日から金光組さんからお借りしたパネルで大きな迷路を作り,浮城祭前夜祭のあかりプロジェクトの灯ろうのお絵かきコーナーを作りました.結構な重労働なのですが,さすがに若い方々.普段見せないような体力をここで発揮しました.

ちゃんくすが参加する活動は,ただの地域ではなく,数人でも知っている人のいる,なじみの地域です.知っている人がいれば安心できることも増えるし.そこで会話も始まるし,です.できれば,こういう活動を通じて,そこの場の人たちと触れ合い,成長の姿をお互いに見つめあうことができる.地域で活動を行う一番の目的です.

今日は,子ども達の競技会でした.そのお子さん達が少しでも楽しめるようにと迷路を作り,お絵かきコーナーを作りました.が,その子ども達が会場の片づけを行い,迷路まで片づけました.

誰にも言われず,自分達で.どうしてやり始めたかはわかりません.でも.それでいいのだ.地域ってのは驚きの連続ですね.

2015年10月16日金曜日

子ども若者自立支援研修会でした

今日は愛媛県は松山市で行われた、子ども若者自立支援研修会に参加しました。主催は内閣府。国の方向性と地域の実践の話を聴講しました。いじめ、自殺、事件への関与、引きこもり、貧困、社会保障制度など、この国は若い方が夢を持てる地域になっていないような気になりました。

しかし、これは別に若者が引き起こしていることではなく、どちらかというと私たちの世代が引き起こしたことかもしれません。口々に聞かれたのは、地域のつながり。多様性と同質性が混在していて、他世代でも同世代でも交流が本来は必要なのに、交流がない地域社会。あまりに独りでいても困らないように技術は進歩しています。子どもの頃に失敗が少なく、大人が環境を作りすぎているようにも感じます。

どうやったら、どんな答えが見つかるかはわかりませんが、とにかくひとりひとりの個性がぶつかり合って、いろんな経験をしながら成長を見守っていければいいな…と感じました。

松山は古いものと新しいものが混在しているような町並みでした。私が小さい頃は小倉にも路面電車が走っていて、たくさんの人を運んでいました。町中を縫うように走る車窓から見える風景には新しいものが増えていますが、感じる風や雰囲気はきっと電車ができた当初からかわらないのではないでしょうか。いろんなことを考えた研修会でした。

2015年10月15日木曜日

得意な作業はすごい

ちゃんくすではたくさんの得意が集まっています。久しぶりに来られたちゃんくす卒業生の方。本当にすごいです。現在は、他のお店で働いていますがお休みを利用してこられました。

彼がやりたいこともあるのですが、こちらもやってほしいこともありまして、わがままを聞いてもらってあんこから作ってもらって、あんぱんを作りました。リクエストしておいてなんなのですが、かなりの放任でして、まったくこちらは何も言わずに作っていただきました。

結果が写真のとおり。まあ久しぶりにほっぺた落ちました。美味しいので食べていただきたいのももちろんなのですが、作る様を見ていただきたい…なんて感じました。とにかく緻密に作ります。物事の状態がどんな風になるか。どれくらいでいいのか。よーく観察しています。

もちろんマニュアルも大切ですが。やはり経験に勝るものはないなと感じた一枚でした。

2015年10月12日月曜日

絶滅危惧作業


子どもの頃.買物といえば人との交流が必ず入っていた思い出がある.近所には市場があり,そこで人と人が話しをしていて,巷の話題から食材の調理法方まで.そういえばおまけをもらうことも多かった.必ずあめを準備しているお店.自分へのおまけではなく,ちょっとした家族で食べられるようなおやつをいただいていたお店.家族構成も,父が働いている会社もすべて良く知っているから,おまけというよりも,本当に使えるものをいただいていた.

コンビニ,スーパーマーケット,通販にインターネット販売.人と人のコミュニケーションが買物にはついてこなくなった.買物におまけもついてこなくなったし,何よりも地域の情報交換ができなくなった.それにつれて,次第に人と人は疎遠になり,地縁が少ない地域が,なおさら人と人のつながりが少なくなっていった.

月に一度軽トラ朝市(主催;三原商工会議所)が行われていて,毎回,就労支援施設が生産者の野菜やパンを販売している.

軽トラや商品を真ん中に生産者とお客さんが話しこんでいる.こういう風景は絶滅危惧作業とよんでいる(勝手に).災害,高齢化,少子化など地域を構成する人員が変わり,つながりが少なくなりつつある.無理してサロンや外部からの人が入って活性化しなくてもいいのではないか.昔ながらの買物が持続できれば,自然とこういう場が作られる.

こういうやりとりがあるから,お客さんと生産者はこの場に集おうとしているかもしれない.

2015年10月9日金曜日

前回のつづき

先日の経営フォーラムの続き.後半は特別支援学校と,卒業生を雇用をされている経営者の分科会に参加しました.福山北特別支援学校と,企業4社です.

フロアにも広島県内で障害者雇用をされている企業や,興味や関心のある企業の経営者も参加しています.就労支援事業の代表者や特別支援学校のJST(Job Support Teacher)の先生も参加して,全体で30名くらいの分科会です.まず,驚くのが広島県内の中小企業約500社のうち20くらいの企業が参加していたことです.おそらく,他の経済団体には障害者雇用についてまとまって話す機会はありません.

うちには関係ない,危険な職場だから無理,経営が安定したら雇おうか,社会貢献なんてしていられない,といった声が障害者雇用では聞かれることがあります.実は違うのです.障害者雇用が企業を変えるきっかけになることも多く,業績も向上すること,従業員の仕事に対する満足度も挙がる企業が多いのです.

と,いうものの,やはり仕事というのはマッチング.自分にあった職場や作業を見つけることが障害者雇用では必要です.

そんなヒントをこの分科会では報告していました.職場全体が変化して,チームを組めるようになった.会社の経費が少なくなった,などなど.

結局,いわゆる普通の方の雇用とあまり変わらない.というのが結論でした.

2015年10月8日木曜日

空想の翼で駆け現実の山野を往かん

今日は中小企業家同友会の経営フォーラムでした.初めて参加する会.平日のお昼から広島県内500社余りが参加していました.基調講演は中村ブレイス(株)の中村さん.

作業療法士の私は以前から話にはお聞きしていました.海外青年協力隊の友人からも聞いていたし,NHKの番組でも見ていました.おだやかな口調とはうらはらに,実践は非常にタフな話でした.

石見銀山の山奥で起業したこと.もちろん売上もなかったこと.出張もままならないので,同業者の連携を強めたこと,義肢装具なのでオンリーワンのもので技術者の養成も時間もかかること.しかし,それでも世界に通じる技術と魅力で世界に名だたる企業にしたこと.

が,ここからがすごい.自分達にできることを世界で発揮するためNGOからの要請で発展途上国の男の子の義足を作ることになったこと.普通.そうすれば作ってあげて終わります.しかし,それでは成長にあわせて何度も作り変えなければなりません.そこで中村さんは,そこにある材料と技術で義足を作ろうとしました.竹と竹で家具を作る工房です.現地の人で現地の材料でその方の成長にあわせて義足ができれば中村さんの技術は要りません.最初は自社内でも反対.だってそうでしょう.作ろうとしている義足は昭和30年代か40年代のもの.しかも作ったことのない竹で作るなんて…最先端の技術を持っている技術者からすれば「なんで?」です.成長にあわせて作ってあげればそれで済む話.でも,それでは技術の押し売り,だったのでしょう.

結局,義足は現地の材料である竹を使い,作り方は中村ブレイスさんの技術者によって指導され,現地の工房の方が作りました.

足関節はまったく動かない固定式.膝関節も現在あるショックアブソーバーや動きをコントロールするような装置もついていません.戦後の義足の歴史を考えれば,まさに時代を逆行したような技術で作られるもので,技術者としてはまったく好ましいものではなったでしょう.

しかし,その子は希望でもあった義足をつけて一人であるけるようになりました.そして,海岸を歩くこともできるようになったのです.

いい義足(物)を作るだけではない,その人の「やってみたい」を支える環境も作ったこと.その義足を作るのは,やがてその子のお父さんの仕事になりました.

こういうことをやってのける実践がすごかった.中村さんの講演からたびたび聞かれたのは「感謝」という言葉と,経営者としての「判断」.そしてやり遂げる「信念」.感謝と信念と判断.今日は学んだ一日でした.(続)



2015年10月6日火曜日

「はらのすけ」という場

ちゃんくすを設立して5年が経ちます。作業に焦点をあてた…と言っていますがなかなか難しいもので、できたなと思う日もあれば、できなかったなと思う日もありです。そんなちゃんくすで新しい仲間が誕生しつつあります。

「はらのすけ」です。元々はもうちょうど2年前の今くらい。雑草の多いしげる 空き地を使って何かやるか?の一言から。草を抜き、石ころばかり出る土を耕し、廃屋の骨組みを残して取り壊し、屋根の瓦を落とし、夢を描き、できないとわかれば描き直し、とりあえずで始めた基礎工事の完成に一喜一憂し…2回ほどの季節が巡って巡って、あと一歩で営業できる所までこぎ着けました。

みなさんにお世話になっているので、できるだけみなさんの力が作業となって形にできるような場にしていきたいと感じています。作っているのはお弁当。またいつかこのブログでもアップしますね。

でもまだまだこれからです。生み出されたものが、活かせてこそのこの2年間。決して無駄ではなかった、と感じることが出来るように、精一杯やっていかなくちゃです。

2015年10月4日日曜日

片づけしました

今日は研修会でして博多からブログです.

昨日,ちゃんくすは午後からビルのワンフロアの再生に向けて片づけをしました.残っている雑誌はから察するに1995年にワンフロアが使われなくなり,その5年後にもうワンフロアが使われなくなっておそらく15年間はそのまま時がとまっている空間でした.ちゃんくすの歴史は,こんな場所を片づけるところから始まることがほとんどです.一番最初の宮沖.今のちゃんくすがある港町.本町では山脇邸,はらのすけ,旧小児科病院.そして,このビル.ちゃんくすの本拠地になることもあれば,地域の活動場所を開拓したり,取り壊される前になんとか廃材を残したり….

こういう活動が出来るのもご縁があるのと,ちゃんくすを利用する人たちが協力してくれること.人手があれば作業もはかどり,そこにいろんな人が参画すればつながりが生まれ,誰かが指揮をしてお金をかけられれば,違う人の作業が生まれる.という循環ができています.

作業が生まれるのは,人がいるだけではダメだし,お金をかければいいものでもないし,場所があればいいものでもないし.すべてがタイミングよくそろわないと生まれないのだろうなと.

「やりたいことができるようになる.」はそういう適度なバランスと化学反応で生まれるんだろうなぁ.

2015年10月1日木曜日

久しぶりのスイーツネタ

ちゃんくすには,いろんな得意が集まっています.昔は得意だったけど今はしていない.誰かのためにだったら,その得意が再び出てくる時もあります.

作業が生まれる瞬間というのはいったいどんな時なのかなと.どうやったら「やってみたい」が出てくるのかなと.構造上の違いが多少あったとしても人はだいたい同じ.どころか,霊長類のDNAは99%は同じとか.なのに人やらサルやらに分類されるくらいの違いがある.人だってほとんど同じなのにやっていることは人それぞれ.違って当たり前だなぁと.

作業は文化の中にその種があり,息づいている.人や周りの環境がその作業になんらかのショックを与えると種から一気に芽が出て作業が生まれる.だけど,時たまその種が見つからなくなったり,ショックがなくなったりしているときがある.

ちゃんくすは,その種を見つけたり,生まれるようにショックを与えたりする役目なのかなと.

作業の結果はあまり関係なくて,どうやって作業が生まれるか…が大切だなぁと.でも美味しそうなのよね(ジュルッ).