2016年12月9日金曜日

教育機会確保法が可決されました。

教育機会確保法が可決された。議員立法であるこの法案は、期待が大きく義務教育が学校以外の場所で行われることを認めるような法になりそうだった。個別支援計画を親が作成し、公的に認められればそれでフリースクールなどで学ぶ機会を認められる…などもあった。しかし、その大部分はなくなってしまい、どちらかというと連携や支援の在り方が文章化されたような形になった。期待が大きかったぶん、残念なところも多いが、これはこれで一歩前進だろうと思う。
しかし、私がとってもとっても気になるのは、不登校の定義だ。不登校がどうもその子どもの心理的身体的な要因で生じているような書き方で、まるで学校という環境には言及していない。人は環境の生き物であり、環境や作業の不調和が生じて人の健康の状態も変調をきたす。ICFになったのもそういう考え方だ(よね?)。実は、時代が変わっても、子どもの数が減っても、学校の数が変わっても、不登校の割合はそんなに変わらず高止まりしている感はある。そういう人たちが「不登校」という名称でくくられて、またある集団に押し込められて、そこに支援だなんだとお金をかけるだけの制度になりかねないようにも感じる。結局はマイノリティーに対して数の理論で集団を形成してしまい、人員配置と予算配分という行政的に「やってます」という制度になりゃしないか。
不登校対策法じゃないか!反対だ!という人たちもいる。しかし、法律としてなんらかの形で成立しないと、何も始まらないのも確かで、ある程度の評価はされる。
障害児だから特別支援学校(学級)に行って下さい。不登校になったから、みんなと違う所で過ごして下さい。それを認めてあげてるでしょう。そうではなく、多様な学び方、多様な理解の仕方を認め合いながら、共に学びながら社会を形成していく機会を作っていかなければならない。変わるべきはいったい誰なんだろうか?